門井慶喜「天才たちの値段」書評本筋
私のXを見ている方はご存じだと思いますが、私は「野郎が組んで何かをする話」が大好きな物書きです(「野郎」という言い方は少し乱暴めいてる気がいつもしていますが、この感じが私の求める性癖にはぴったりなようにも感じているので、この言い方で通しています)。
そんな私が最近ドハマりした小説が、門井慶喜「美術探偵・神永美有」シリーズ。
タイトルに記載してある「天才たちの値段」は、このシリーズの1作目にあたる本となります。
「美術探偵」と書かれてるところからわかるように、本シリーズは「美術品」を題材に綴られている小説です。
美術品の真贋を「舌」で感じる事ができる美術コンサルタントの神永美有。
そして本作の語り手である大学の美術講師・佐々木昭友。
2人の美術に関わる男達が、さまざまな美術品が巻き起こす事件に挑む短編連作となっています。
シリーズ1作目にあたる「天才たちの値段」では、ルネサンス期を代表する画家ボッティチェッリや、バロック期の代表的画家フェルメールなどに焦点を当てた話が綴られており、特に西洋美術がお好きな方なら興味がそそられる題材なのではないかなと思います。
ほかにも、地図や涅槃図、ガラス細工と、絵画以外にもさまざまな美術品が登場してきます。
実際、私がこのシリーズに手を出した理由は、「美術探偵」の4文字に惹かれたからでした。
……とは言っても、この「美術探偵」の文字が実際につくのは3作目からで(文庫本版は1作目からすでについているようです)、私は間違えてその3作目から読んでしまった人間なんですけど。
いつも思いますが、巻毎にタイトル変える系の作品は、どれが1冊目なのかわかりやすくどこかに書いておいてください。切実に。
歴史的背景から技術的な話まで。「美術」にまつわるさまざまな話が登場し、それらをこねくり回して綴られる物語は、まさに「専門知識」を用いた作品ならではの特殊な面白さで満ちています。
正直、勝哉の美術知識は薄ぼんやりとしたもので、あまり深くありません。
なんとなくで絵を見るのが好きだなぁぐらいの感覚なものでして……。あと刀が好き。それでも面白いと感じられたのだから、きっと知識がある人が読んだらもっと突き刺さるものがあるのでないでしょうか。
実際、涅槃図のエピソード「早朝ねはん」では、日本史好きな私としては「その歴史をそう使ってくるのか!?」と驚かされる真相が綴られており、ひどく驚かされました。本作の中でも一・二を争うレベルで印象深かったお話ですね。
そして何より……、神永美有と佐々木昭友の関係が面白い!(冒頭にも言いましたが、本作は「野郎が組んで何かをする話が大好きな私」がドハマりした作品です。大事な事なので、もう一度言っておきます)
美術品の真贋を舌で感じる事ができる神永美有と、自分自身の知識と学で美術品の難題に挑む佐々木昭友。
その関係性は、一言で言うと天才と凡才の対比にあたります。
最初はいけ好かない相手として、神永美有を見ていた佐々木昭友。
それは、彼の舌が本当に真贋を見極める才能を持ち、美術に関する知見も深い事を悟るや否や、その才能に嫉妬してしまうほど。
自分が心血注いで頑張ってきたものを、ある日横から颯爽と現れた才ある物が軽々とこなしていく様を見せつけられ、それを妬ましく思わない人などいるでしょうか。
実際、この「天才たちの値段」では、佐々木昭友が神永美有に対抗心を燃やすような瞬間が何度も描かれています。
しかしその反面で、彼が神永美有の才能を認めている事もまた事実(でなければ、嫉妬などするわけもなし)。
結局最後は神永美有に頼ったり、彼の舌を信じて推論を始めたりと、その才能にどこか寄っかかってしまうところがある。
古来より、天才と凡才(もしくは凡人)は対比の対象として、多くの作品で描かれてきた要素だと思います。
スポーツ漫画なんて、その王道的な例でしょう。
才能がある王者的存在に、凡人で劣らぬ存在である主人公側が努力でのし上がり挑む。そして勝利を掴む。こういう流れ、大好きな方は多いのではないでしょうか(私は大好きだ)。
しかし「天才たちの値段」における凡才は、自身が敵う事のない圧倒的「才」を前にして、嫉妬はすれど結局はその才能に頼ってしまいます。
言ってしまえば才能の差を自覚し、己の負けを認めるような構図ですが、しかしそれは私達が美術品を見る時とどこか似ているように私には感じられました。
巨匠達により手掛けられた数々の美術品。
博物館や美術館でそれらを前にした時、私は一瞬言葉を失います。仮にも物書きのくせに言葉を失うとはなんたることかと思われそうですが、本当に言葉が出てこなくなるのです。ただただ、目の前にある「美」に圧倒される。
しかし、それを前にして圧倒される事はあっても、そこに妬みや嫉妬などを感じる事はありません。ただ、敵わぬものに美にふれ伏し、時にはその美を生み出した者へ憧憬の眼差しを向けるだけです。
本作における「天才」とはそういうもので、だからこそ凡才である佐々木昭友も最後にはそれを認め、頼る事ができたのかもしれません。
だが美術品と違い、彼の前にいる天才は生きた人間であり、向こうからこちらに言葉を語りかけてくる。
ただ作品という名の天才を見上げるだけの鑑賞とはわけが違います。
「天才たちの値段」時点での神永美有は、あまり美術コンサルタントとして成功しているとはいえません。
言ってしまえば、才能はあるが環境が悪い、といった感じです。
そのなかにおいて、大学の美術講師であり、いくつもの論文を手掛けるほどの研究者もである佐々木昭友と出会えた事は、彼にとって大きな事だったのではないでしょうか。
実際作中では、美術関係の資料を読みに神永美有が佐々木昭友の研究室に足を運んでいる様も描かれています。きっと彼にとって佐々木昭友は、美術コンサルタントとして縁を保つべき人脈だったのでしょう。
それになにより、自分の舌の事を知っている上で美術の話もできる数少ない相手。
そこにはある種の「秘密を共有する仲」に近しい親密な関係性を感じます。
本シリーズは佐々木昭友の一人称視点で語られるため、神永美有が彼の事をどう考えていたのかは一切わかりません。
ですが、回を増すごとに少しずつ話し方がくだけてきたり、時々遠慮のないからかいなどを入れてくる瞬間もあるところからして、神永美有が佐々木昭友の事を親しい相手として認め始めているのは確かな事実のように思えました。
そして佐々木昭友も、彼と様々な難題に挑戦していく内に少しずつその存在を、そして才能を受け入れ始めていく……。
この2人の関係の変化が、凄く心に刺さる。「野郎が組んで何かをする話」が大好きな自分には、ドストライクな展開です。
天才と凡才、真反対な立場にある野郎達が織りなす人間模様にも興味がある方は、ぜひ本作を読んでみてほしい。
とはいえ、あくまでも「美術もの」ですので、人によっては「美術はわからないからなぁ」と少し手に取りにくいかもしれません。
まぁ実際、作中に登場する美術品、その全てに説明があるわけではないの確かですね……。知ってる前提で語られているものも少なくはありません。
実際、勝哉はガラス細工には完全ノータッチな人間だったので、ガラス細工の話で出てくる用語の一部は意味がわからず、自分で調べてから読んでいました。
まぁ、これは極端な例で。
ストーリーに深く関係がある美術品に関してはきちんと説明が挟まれるので、美術品に詳しくない人でもお話にはついていけると思います。
気になったら、説明がない他の用語も調べてみると面白いよって感じです。
でも、お話の展開そのものだけを見ると、美術知識の有無関係なく楽しめるような気がします。
たとえば、先にも話にあげた「早朝ねはん」は、「お釈迦様がエアロビクスをしている」というとんでもない涅槃図が発見され、それを欲しがる2つの寺院の争いに佐々木昭友と神永美有の2人が巻き込まれる話になっています(涅槃図を知らない方向けに、一言で簡単に説明しておくと、「お釈迦様が入滅(亡くなる)する瞬間」を描いた図の事です)。
「エアロビクス」という単語だけでも、なんだかもう気になりません?
エアロビクスするお釈迦様ですよ。
どういうことだよって、言いたくなりません?
くわえ、「はたしてエアロビクス涅槃図(単語を並べてみると余計面白い)を手に入れるのはどちらの寺院か」というハラハラ要素もある。
美術に詳しくない人でも充分に楽しめるし、先が気になる展開なのではないでしょうか。
逆に、この作品から美術品について興味を持つのもアリかも?
「野郎が組んで何かする話」系が好きな方は、「美術ものかぁ……」と忌避する前に、ぜひ一度試しに表紙を開いてみてほしいです!
オマケの怒り ※結末に関するネタバレが少々含まれます。ご注意ください。
ところで、冒頭でも申しましたが、私このシリーズは間違えて3作目から読んでしまっているんですよね。
その上での愚痴なのですが……。
1作目ね、なんか感動的な雰囲気で、佐々木昭友が神永美有と決別する事を決める感じでお話が終わるんですよ。
でもね、私が読んだ3作目では普通に仲良くしてる姿が描かれているんですよね。
なんなら一緒に出掛けてるシーン(もう1人別の人も一緒に居るけど)もある。電話も普通にしてる。
誰だ、「天才たちの値段」最終話で「つきあいが続く限り彼の依存を脱せられない」とか言ってたの。
誰だ、「潮時かもしれない」とか言ってたの。
お前だ、佐々木昭友。
2作目でなにがあったんだ。
なにがあったんだ。
なにがあったんだよ~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!!怒怒怒 ポチッ(Amazonで続きを購入する音)
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